ご存知のように、この戦争はガザで起きている最も厳しく残忍な戦争です。イスラエル軍は毎日ガザに住んでいる私達を標的にして、次から次へと虐殺を繰り返しているのです。
ガザ地区の人々は家を追われ、今、テント暮らしを強いられています。 テントで暮らすということは、寄りかかりくつろぐ壁もなく、 夜は寒さに耐え、死に直面していることと同じです。
テントの中では、プライバシーを守ることはできず、バスルームは複数の家族で共有しなければならず、日常の生活で守られるべく基本的なことはガザには全くありません。
最近では、ガザに小麦粉は一切なく、手に入ったとしても、私達が買えないような法外な値段で売られています。 一袋の小麦粉の値段は100ドルに達し、なんとか手に入れたとしても、イスラエルのねらいは私達を飢えで殺そうとしているのです。
今日、ガザ中部デイル・アル・バラで、イスラエル軍の軍用機が、路上で遊んでいた2人の罪のない少女を標的にしました。これがわたしたちへの目的なのですか?
イスラエル軍は、ガザ南部ハンユニスの海岸でまたもや大虐殺を行ったのです。テントが爆破され、10人が殉教(注)しました。それぞれが 夢と人生を持ったこの10人の死は、単なる死者数ではありません。 彼ら一人ひとりに物語があり、夢があり、家があり、希望をもって生きていきたいと願っていた人生があったと思います。 どうしてテントをミサイルで爆撃するのでしょうか? 布でできたテントは、何からも守るほど強くないのに。
二人の娘は殉教してしまいましたが、悲しみとつらさは、母親に今なお残ります。 翌朝、いつものように娘たちのために朝食を用意しようと目を覚ますと、もうそこには娘たちの姿はありません。それは深い悲しみの中で、想像を絶するほどの苦悩があり、そして永遠に2人の少女を失ったという、焼け付くような痛みと、終わりのない苦しみと悲しみがはじまるのです。ガザでは、死んでいく人は苦しみから解放されますが、真の苦しみは永遠に続き、愛する人を恋しく思う生きとし生ける者を、どんな時も苦しめるのです。そして人生の中でいつでも喪失感の悲しみを経験し生ける者を絶えず苦しめるのです。
(注) 殉教とはイスラーム圏で使われている言葉で、自らの信仰のために命を失ったとみなされる死をいうが、ここではイスラエル軍によって殺されたことに対して使われている。