ガザ女子学生日記

2025年2月20日(木)

2025-05-09 16:51:56
2025-05-11 15:58:52
目次

私は、友人と人生がいかに悲しく、虚無を感じ、常に恐怖に付きまとわれているかを話しながら歩きました。足取りは、重くゆっくりとしたペースでその通りを歩いていました。

お互いに問いかけたことは、「この瓦礫はいつ片付くのかしら」、「私たちの街は再建できるのかしら」そして「再建後の街並みは以前と同じ様になるのかしら。あるいは全く異なる街並みになるのかしら」などでした。

私たちは信じられない思いで周りを見渡しました。一年半が経過し、この間、戦闘、破壊、飢餓、移動・移住、そして、止まぬことの無い恐怖しか、ここにはありません。

私たちは、常に強くあろうと懸命に努力するのですが、実際のところ恐怖で心が一杯になるのです。時折、心の痛みが自分の持っている勇気よりも強くなります。どんなに微笑もうとしても、悲しみが滲み出てきて、心が折れそうになるのです。

この様な重苦しい会話の中、私は、小さいけれど息をのむようなものに目を奪われました。「一瞬立ち止まって、どんなに苦しくても喜びは、まだあるから」と、まるで天国からのささやきが聞こえたのです。それは破壊された家の真ん中に、崩れかけた家の壁と静けさに囲まれた場所に一本の木が立ち、花をつけていたのです。その木の花は、なんと生き生きとして、堂々としていて輝いていました。そこから聞こえたのです。

まるで、「あらゆるものが取り去ろうとしても、人生は、前に向かって突き進むことができる」と宣言しているかのように、その木は立っていたのです。ただ美しいだけではなく私たちに意味のあるメッセージを伝えてくれたのではないかと思います。廃墟の中にあっても、すべてを失っても希望は静かに育っていることを教えてくれました。

喜びは、ここにもあるのです。派手なお祭りの中ではなく、瓦礫の中でそっと咲く花がこの状況に抵抗している様に見えたのです。私はしばらく沈黙し、その前で立ちすくみました。

これほど繊細な花が、こうした大きな破壊の中で耐えられるのでしょうか。それは、揺らぐことなく背筋を伸ばして立っていたのです。私たちも、まだこうして生きています。そして命ある所には常に希望があることを信じて。

この記事を書いた人

Sabara

Sabara(サバラ)22歳 パレスチナ・ガザ地区出身。アル・アクサ大学で英文学を勉強中。情熱的で野心家。写真撮影と読書が好き。2024年11月から日記を書き続けている。