ガザ女子学生日記

2024年11月23日(土)

2025-01-07 14:50:40
2025-03-29 16:24:50
目次

夕方、私がいつも勉強しているカフェで、この国の現状について書いていた時、突然、ミサイルの爆発音が聞こえ、すべてが揺れました。 私はその場に凍りつき、何が起きたのか、どこで爆撃が起きたのか、全くわかりませんでした。すぐ後に 私がいたカフェのすぐ隣が標的だったことがわかりました。 破片や石が四方八方に飛び散り、人々の悲鳴と叫び声が飛び交っていました。

死体や負傷者が地面に散乱し、救急車が駆けつけているのを見ました。 その瞬間、恐怖と緊張で震えて時間が止まったように思えました。カフェにいた人たちは、飛んできた破片に当たり、傷口から血を流してて、言葉にするのが難しいのですが、まるで私の死が目の前を通り過ぎていった感じです。

 狙われたのは、パレスチナ赤新月社本部の近くで、通行人でにぎわう市場にいた罪のない市民たちでした。 子供、女性、男性、日常生活に必要なものを求める人々でごった返していたところでした。一瞬にして、この活気あふれる光景が恐ろしい悪夢に変わってしまったのです。

私の家族は、震えるような恐怖の時間を過ごしていました。 爆撃の知らせを聞いたとき、私の家族は、標的となった現場にいると思い、私が死んだと思ったようでした。 父、母、兄弟は、心配しながら息せき切って直ぐに現場に駆けつけてくれました。私の姿を見つけた母は、駆け寄り強く抱きしめ、泣きながら、“神に感謝、生きていてよかった。”と言いました。

それは彼女の心の底から出た言葉でもあります。つまり現実に起こったことへの苦しみ、今なお続く恐怖、そしてこの破壊の中で生き残った我が子への計り知れない感謝の言葉なのです。

この記事を書いた人

Sabara

Sabara(サバラ)22歳 パレスチナ・ガザ地区出身。アル・アクサ大学で英文学を勉強中。情熱的で野心家。写真撮影と読書が好き。2024年11月から日記を書き続けている。