ガザ女子学生日記

2025年1月3日(金)

2025-01-26 15:59:09
2025-01-28 17:24:13
目次

一杯のコーヒーを手に入れるための闘いは、他のどんなものともは異なります。 コーヒーは私にとって単なる飲み物ではありません。強さと希望の源であり、どんな困難の中でも前進し続けることができる原動力となります。 私にとってコーヒーは、茶色い液体が入ったカップというだけでなく、混沌とした世界における平和なひとときとなるのです。

今朝もいつものように、コーヒーを飲むこと以外に何の目標もなく目覚めました。目を開けて最初にするのがコーヒーのことで、それがまたチャレンジに満ちた一日に立ち向かうエネルギーを与えてくれるからです。 しかし、今日は異なりました。 いたるところでコーヒーを探したのですが、市場には誰もいなくて、店は閉まっているか品切れ状態でした。まるで人生そのものが止まってしまったかのように、私の中の何かが壊されていくように感じました。

私は友人たちに次々と尋ね始めました。 コーヒーはありますか? しかし、答えはいつも同じでした。 その返答のひとつひとつが、私の心臓をつき刺す短剣のように感じられました。 私は絶望と、まるで失われた宝物のようにそれを見つけたいという必死な思いとの間で戦っていました。

そんな折、思いがけず希望の光をもたらしてくれた友人の一人から電話がありました。 彼女は、私たちが時々仕事で集まるカフェにまだコーヒーがあると教えてくれました。 私は耳を疑いました! 突然、私の血管に命が戻ったような気がしました。 そして、羽を取り戻した鳥のようにベッドから飛び起きました。 どうやって服を着たのか、どうやって家を出たのかも覚えていません。 私が考えていたのは、どんなに遠くても、どんなに危険な道でも、その場所に行きたいということだけでした。

カフェに着いたとき、私の目は絶望の海の中に、聖域を見つけたかのように喜びに輝きました。 私はコーヒーを頼み、まるでそれが私の人生で最も重要な試験の結果待ちであるかのように思えました。 従業員が「はい、コーヒーがあります」*と言ったとき、その言葉は今まで聞いたことのない甘いメロディーのように感じました。

高い値段にもかかわらず、私はためらうことなくありったけのお金を集めました。 私はそこに座り、期待に胸を膨らませながらコーヒーを待っていました。 ようやく店員が私の前にコーヒーを置くと、その香りはまるで楽園の香りのように感じました。 私は最初の一口を飲み、目を閉じました。 すると戦争も、飢餓も、恐怖もない世界に行ったように感じました。 そしてそこは、平和で満たされた世界です。

しかし、しばらくして現実に戻りました。 自分がどこにいるのか、戦争の真只中にいるのか、そして一度家に戻ったら、コーヒーはもう簡単に手に入れることができないという現実を思い出したのです。 そして、ここでの生活の喜びの一瞬一瞬を、どんなに困難な状況の中からでも奪い取るくらいの気持ちが大切だと悟りました。

これは単なるコーヒーの話ではありません。 一杯のコーヒーを楽しむという最も基本的な権利でさえも、戦いになってしまうというガザでの日常生活を反映していると思います。

しかし、それはまた、どんなに過酷で容赦のない人生であっても、希望と喜びが最もこの狭い場所からいかにして生まれるかを物語るものでもあるのです。

(訳 岡戸良子)

この記事を書いた人

Sabara

Sabara(サバラ)22歳 パレスチナ・ガザ地区出身。アル・アクサ大学で英文学を勉強中。情熱的で野心家。写真撮影と読書が好き。2024年11月から日記を書き続けている。