ガザ女子学生日記

2025年1月4日(土)

2025-01-26 16:18:59
2025-01-30 23:42:29
目次

今朝、部屋に座っていると、通りから物音が聞こえてきました。 何が起きたか見たくて、窓を開けて外を見ると、そこには忘れられない喜びと悲しみの間で引き裂かれるような光景が広がっていました。

かつて活気に満ちていたお隣の家の瓦礫の上で、子どもたちが座っていたのです。 子ども達は、この瓦礫を遊び場に変え、自分たちが滑り降りるための「滑り台」に変身させていたのです。まるで周りの世界がすべて消えてしまったかのように笑っていました。 彼らは危険にも気づかず、のんきに遊んでいたのです。 この瓦礫のどの部分がいつ崩れてもおかしくないのですが、そんなことは彼らにとって全く関係ありません。

まるで、子どもの時代には辛い場所でも光を見つける方法があるというメッセージを世界に発信するかのように、子どもたちの笑い声が通りに響き渡っていました。 その様子を見ていたら、心配と怖さに満ちた口調で息子を呼ぶ父親の声が聞こえてきました:

カディール! おいで、カディール そこで遊んでは駄目だよ。 瓦礫は危険だし、怪我をするから、遊んでは駄目だよ」!

しかし、子どもの反応は、子どもの無邪気さと現実の厳しさを持ちあわせて、 カディールは答えました:

「心配しないで、お父さん。 ここでの生活はどこでも危険だよ。 学校で遊ぶことも出来なくなったし、おもちゃだって、なくなってしまったから遊びたいんだよ!」。

そして、子どもたちは、危険を顧みず遊んでいます。 子どもたちは、戦争や破壊によって自分たちの時代、子ども時代を奪われることは、決してないんだと、世界に宣言するかのように、滑り台を滑り続け、笑い続けていました。

その瞬間、私の気持ちは誇りと悲しみが入り混じりました。私は子どもたち、彼らのたくましさ、そして悲劇のどん底からでも喜びを引き出す能力があることに、計り知れない誇りを感じたのです。 戦争も、恐怖も、日常生活の一部と化した惨状でさえも、彼らを打ち負かすものは何もなかったという事です。 しかし同時に、私は深い悲しみも感じました。 廃墟の中で遊ぶことに、子どもはどうして幸せを見つけることができるのだろうか? この子どもの時代に生きる彼らたちは、どうしてこのような破壊された環境の中で喜びを見出すことになってしまったのだろうか?と考えてしまいます。

この光景はしっかりと覚えています。 瓦礫の上で広がる子どもたちの笑い声、そして最も過酷な場所でも輝き続ける希望。 何もないところから喜びを生み出す方法、そして笑いがいかに戦争の絶望に対して真逆に立ち向かえるかを教えてくれる、人生のヒーロー、ガザの子どもたちなのです。

彼らの笑い声は、私たちが日々耳にするあらゆる破壊の音よりも大きく感じられ、彼らの遊びが無言の宣言だと思います:

*何があろうとも、私たちは生き、笑い、遊びつづけます*

                             (訳 岡戸良子)

この記事を書いた人

Sabara

Sabara(サバラ)22歳 パレスチナ・ガザ地区出身。アル・アクサ大学で英文学を勉強中。情熱的で野心家。写真撮影と読書が好き。2024年11月から日記を書き続けている。