ガザ女子学生日記

2025年1月6日(月)

2025-01-26 16:24:34
2025-02-01 11:16:58
目次

温かいシャワーを浴びようと思いましたが、ガザではそのような事を、毎日考えるだけでイライラさせる要因の一つになってしまいます。 停電が絶えず、太陽熱や電気温水器もないため、この作業は避けることのできない毎日の課題のように感じます。 唯一の選択肢は、火をつけてお湯を沸かすことですが、このプロセス自体が想像を絶する程大変なことなのです。

火をつけるために薪と紙を集めなければならないからです。 薪の値段は法外で、手に入れるには体力をつかいます。 薪は素手で細かく砕かなければならないので、肌に切り傷や擦り傷ができて痛くて本当に大変です。また冬の厳しい寒さの中での、疲労と倦怠感はさらに大きくなるばかりです。

そして第二段階で、火をつけるということです。 これは簡単なことのように思えるかもしれませんが、簡単とは決して言い難いです。 濃い煙があちこちに立ち上り、胸は息苦しくとても熱くて大変です。 我慢しようとしても、煙で目がしみて、シャワーを浴びようとした自分への罰のように、咳が止まらなくなるのです。

これだけの苦労をしても、満足のいく結果は得られません。 煙と不純物のせいで水は濁っていますが、私たちは、それを使わざるを得ません。 体を洗おうとして水に入ろうとするのですが、絶望の海に、まるで溺れているような気がしてしまいます。 身体も魂も、この苦痛が重くのしかかっている感じなのです。

そんな中、私の頭の中は色々な考えが溢れ、痛みが増幅するのです: 「私の昔の生活はどこに行ってしまったのだろう。 こんなうんざりするような細かいことをせずに暮らしていた日々はどこへ行ってしまったのだろう。 私たちの最も基本的な権利は一体どこに行ってしまったのだろうか? まるで周囲のすべてが奪い合いながら叫んでいて、私は、失意のどん底に突き落とされる思いです。この過酷な生活はいつ終わるのだろう? いつになったら、この苦しみを考えずに一日を過ごせるのだろう?

ここでの生活は単なる日々の苦しみではなく、夢や最も基本的な権利さえもあきらめざるを得ないような試練の連続です。 シャワーを浴びようとするたびに、人生の意味や私たちを取り巻く不公平感についての悲しい問いで一杯になる自分がいます。 私たちは基本的な欲求を満たすことだけを求めているのですが、この厳しい現実の中ではそれさえもできないように思えてくるのです。(訳 岡戸良子)

この記事を書いた人

Sabara

Sabara(サバラ)22歳 パレスチナ・ガザ地区出身。アル・アクサ大学で英文学を勉強中。情熱的で野心家。写真撮影と読書が好き。2024年11月から日記を書き続けている。