ガザ女子学生日記

2025年1月7日(火)

2025-02-02 19:19:29
2025-02-06 15:41:38
目次

ガザの洗濯:痛みとたくましさの間に

母が今日は、「洗濯の日よ」と話しました。その言葉だけで、私には、とても重荷がのしかかるように感じるのです。その重荷を背負うのは嫌でした。その言葉を聞くのも嫌です。単なる言葉ではなく、これは、何時間にもわたる疲労困憊する労働、仕事への呼びかけなのです。

他の場所では普通に行う洗濯は、ガザでは最も困難な日々の課題の 1 つになっています。洗濯という言葉を聞くたびに、私の体は本能的に反応して、まるでこれから始まる疲労に備えているかのようです。

身を切るような寒さの中、蛇口からバケツ一杯の凍える水を汲むことから試練が始まります。その作業を楽にしてくれる温水、道具、器具はありません。私たちは極寒の空気の中、手や顔が冷たさでかじかみ、蛇口のそばに立っています。水を汲んだ後、冷たく固い地面に座り、石鹸を使って手で衣類を洗います。地面は容赦なく、何時間も座っていると背中に鋭く持続的な痛みが走ります。どんな姿勢をとっても、快適さからは程遠いです。痛みはこの状態からは、切っても切れる状況ではありません。

​​そして最も困難な部分が始まります。衣服を絞ることです。洗濯機がないので、手で絞ることになります。たとえ洗濯機があったとしても、電気がありません。この作業で腕と手が疲れ、限界に達すると筋肉が痛み始めます。終わる頃には、体が完全に消耗しているのです。完全に疲れ果ててベッドに倒れ込み、指一本動かす力さえも奮い起こせないこともあります。

すべてが終了したら、私は横たわり、天井を見つめ、ここガザでの生活についての考えが頭の中で一杯になります。私は若い女性として、活力と活動に満ちているべき年齢と思います。夢を追い、将来の計画を立て、願望に向かって進むべきだと思います。しかし、ここでは、人生は闘いとして定義される。洗濯のような最も単純な日常の作業でさえ、すべてが苦痛と絡み合っているのです。

ここでの生活は苦難の連鎖であり、貧困と苦しみとの一連の闘いです。毎日、さまざまな苦労があります。水、電気、呼吸する空気さえも、すべて生き残るための闘いの一部のように感じられます。

それでも、私たちは一生懸命生きようとします。じっと耐えています。なぜなら、どんなにかすかな小さな希望でも、私たちを生かしてくれるものだと信じているからです。苦しみから私たちはエネルギーを引き出し、痛みから回復力を生み出します。忍耐することが唯一の選択肢となるので、私たちはじっと耐えるのです。

 母を見ると、その目には、どんなに窮地に追いこまれても決して屈しない人生、一つの民族の物語が浮かびます。母は毎日目を覚ますと、いつも絶えることのない笑顔でこの厳しい現実に向き合い、私にいつも前向きになることを励ましてくれます。ガザで私たちは、人生は喜びと幸福の時だけではないということを知りました。私たちはより良いものを得るに値するという信念を持ち続けることは、日々の闘いとなります。

(訳 岡戸良子)

 

この記事を書いた人

Sabara

Sabara(サバラ)22歳 パレスチナ・ガザ地区出身。アル・アクサ大学で英文学を勉強中。情熱的で野心家。写真撮影と読書が好き。2024年11月から日記を書き続けている。