
祖父の家を訪ねて:懐かしさと痛みの間で*
私は祖父の家を訪れることにしました。そこは子ども時代の思い出がすべて詰まった場所であり、かつて私たちの最も幸せな日々を見守ってくれた家です。しかし、今回の訪問では、その家の姿はまったく異なっていました。その家はもはや私が覚えていた姿ではありませんでした。建物の階段を含む大部分が破壊され、この訪問は危険な作業に変わってしまいました。
その家に着いた時、さまざまな感情が押し寄せてきました。かつて私たちの笑い声が響き渡り、夢が詰まっていた場所は廃墟となっていました。家の前に立つと、涙を抑えることができませんでした。言葉では言い表せないほどの深い痛みが私の心を襲ってきました。
このような状況にもかかわらず、祖父を長として、私の家族はその家に戻ることを決めました。限られた資源しか使えない厳しい状況の下で、破壊された階段から再建することを決めました。ガザの資源は信じられないほど乏しいため、それは簡単な仕事ではありませんでした。それでも爆撃によって破壊された跡に残された瓦礫の中から回収した鉄を利用して階段を作りました。しっかりした土台が無く、十分な建築資材も無かったため、不安定な砂の上に階段を設置するしかありませんでした。
その階段を見たとき、私は驚きと恐怖で胸がいっぱいになりました。しっかりとした支えがなく、少しでも踏み外すと落下につながる可能性があるため、この階段は壊れやすく非常に危険なものに見えました。しかし、私の家族にできることはこれしかありません。他に選択肢はありませんでした。
それでも、このような恐怖だけが私の今の心を表すものではありませんでした。家族みんなの、あらゆる困難を乗り越えて破壊された家を再建しようとする決意とそれを実現しようとする粘り強さを見て、私は大きな誇りを感じました。パレスチナ人として、家や町がおそろしく破壊された状態にあっても、私たちの土地と私たちの町に対して揺るぎない愛情を抱いていることに気づきました。私たちは決して屈しません。小さなことから、痛みを強さに、破壊を希望に変えていきます。
さて、私は 大きな恐怖を感じながらも、階段を登ることにしました。一歩一歩が、いかに危険かをわかっているので緊張と不安でいっぱいでした。しかし、このことは、単にあやうい階段を登る以上に意味のあることに感じました。ガザでの生活を象徴しているのです。それは私たちのたくましさ、土地と家に対する深い愛情、そしてイスラエル軍がどれだけ私たちの心身を打ち砕こうとしても、それに耐え抜く不屈の意志を体現していました。
祖父の家はもはや私の家族にとって単なる家ではありません。不屈の精神と抵抗の象徴となっています。祖父のまなざしと家族の表情に、私は揺るぎない決意と生活を再建できるという信念を見ました。家はもはや以前の思い出の中にある家と同じには見えませんが、その家の魂とでも言うような、爆撃や破壊によっても決して消え去ることのない想いや精神は残っています。
祖父の家を訪れるたびに、私たちが耐えてきた計り知れない苦しみが思い出されます。それを乗り越えてきたことによって、私たちの内に秘めている強さをも思い出させてくれます。私たちには楽な生活をするという贅沢はないかも知れませんが、不可能を現実に変える意志があります。崩れかけた壁と危険な階段のあるこの家の存在は、壊れることを拒む人々、どんなことがあってもこの土地には生きる価値があると信じる人々を象徴する物語でもあります。