
ラファ:帰還の苦痛と破壊の沈黙
停戦発表の翌日、私はラファを訪問することにしました。ラファは私たちが、最も困難な状況にあるときに避難所を提供してくれた場所でした。辛い思い出もあれば、非常に厳しい中でも希望の光をさすような思い出も残っています。私は、こうして全てを失ったときに私達家族を温かく受け入れてくれたこの場所を今一度見たいと思っていました。
ラファに近づくにつれて、私の心臓の鼓動は速くなり、自分の力では感情的な気持ちを抑えることが出来ないくらいでした。戦争の痕跡を目にすることは予想していましたが、私が目にしたものは想像をはるかに超えるものでした。街に入った瞬間、息をするこが出来ないぐらいの驚きで、イスラエル軍よる破壊は悪夢のようでした。かつて賑わいを見せていた近隣地域は、今や瓦礫と化していました。どの角も、どの道も、どの壁も、痛みと悲劇の跡を残していました。まるで街のアイデンティティを完全に失ってしまったかのようでした。
不安が入り交じりながらも希望を胸に、それぞれの街に戻って行く人たちをみました。かれらの顔には疲れ切った表情の裏には、こうして戻れるというかすかな喜びをも感じさせていました。しかし、その喜びは故郷を襲ったあまりにも大きい破壊を目の当たりにするとたちまち衝撃に変わるのです。まるで廃墟に埋もれてしまった記憶の中をさまよっているかのように、彼らの足取りは重くなるのでした。
忘れられないのは、アブ・ユセフ・アル・ナジャール病院に到着した時のことです。かつて何千人もの患者や負傷者にとって希望の光だったこの場所は今や、瓦礫の山となってしまいました。残っているのは、そこで治療を受けた患者たちの記憶と、その壁の中で響く生存を訴える叫びの声だけでした。私は、自分が見ているものが信じられませんでした。ここが病院であったという痕跡は全くないからです。全てが生気のない瓦礫と化していたのです。しばらくの間、時が止まったかのように、私は、その場に立ち尽くしました。その光景の重大さに息が詰まりました。膨大な破壊を記録するために写真を撮ろうとした私の手は、悲しみで震えました。無意識に動いているかのように感じましたが、私は、言葉では言い表せないほどの膨大な悲劇の一目撃者となったのです。。
人々の目には、言葉では伝えることが出来ない悲しみがあると感じました。そのまなざしには、多くの疑問が残っていました。:どうすればすべてを再建できるのか?瓦礫と化したこの場所で、私たちはどうやって再び生きることが出来るのだろうか?しかし、悲しみとは裏腹に、何か別のもの存在していました。逞しさの底力、忍耐しようとする隠された決意、そしてどんな犠牲を払っても廃墟から立ち上がりたいという願望です。
かつて活気に満ちていたラファの街は、いまや戦争の残酷さを物語るものとなってしまいました。しかし、それはまた、不可能なことに挑戦する人々の逞しさと決意の象徴でもあるのです。私は、悲嘆にくれながらもラファを後にしたのですが、これらの全ての痛みにも関わらず、私たちはこれから再建し、長い間、忍耐の象徴としてきたこの場所に再度、命を取り戻すという希望を私は、これから持ち続けたいと思っています。