
私たちが1年以上待ち望んでいた日でした。 私たちは、毎日、長い夜の間も、どんな時も夢見ていた日です。強制的に奪われた生活から、私たちの大切な人たちが、ようやく自分の街、自分たちの家に戻れるのです。ニュースを聞いてからは、興奮で眠れませんでした。美しいガザの街にもどれることで心おどり、私の心は、ガザにあり、路地や砕け散った壁の中にも、私の一部分が存在していると思っています。そして再び復活することを待っている場所なのです。
早朝、私は、久しぶりに元気に目が覚めました。まるで決して忘れてはならない約束があるかのように、私は素早く身支度を整えました。これまでの長い間私たちとガザを隔ててきた検問所、包囲され、苦しみの象徴であった検問所が今は、希望と待望の喜びの入り口に変わりつつあるのです。
検問所に到着すると多くの人達でごった返ししていました。多くの人々の顔は明るく、また避難生活と苦悩の連続で身体は、疲労困憊しているにも関わらず心は、活気と期待にあふれて故郷に戻れる時を心待ちにしていました。子供たちは、しっかりと母親の手を握り、やっと故郷に戻れることが現実となり、その喜びで子どもたちの目も輝いていました。お年寄りたちも疲れ切った顔と体なのですが、家に戻れるという安心感からかまるで元気にしっかりと立っていました。
家族は、なけなしの持ち物である箱、カバン、毛布などを急いで荷造りしているのです。それらは、様々な希望や失ったのもの、かれらの逞しさが入り混じった生活の一片の思い出が詰まっている物なのです。苦悩と喜び、疲労と安堵、待ちわびている想いと不安が交差している、すごい瞬間です。
私たちは、イスラエル軍が検問所の解放をいつするかの決断を、待ちわびていました。兵士たちが動くたびに私たちの心臓は、緊張でドキドキしていました。視線は、鉄柵の先に見える自分の家と北の方を見つめていました。簡単に私たちの期待には、応えられないようです。
ついにその瞬間が訪れました。“アッラーフ・アクバル”の叫び声が響き渡りました。祝福の声が上がり、涙、笑顔、聖歌、祈りが混ざり合って響いていました。門が開き人々は前へ前へとまるで一秒でも無駄にしたくないといわんばかりに、彼らは、駆け出し自分たちが通る前に又検問所の門が閉まってしまうのではないかと心配するあまり走り出していました。
言葉では言い表すことが出来ないくらいの光景でした。私の心はかつてないほどの喜びで一杯になりました。それは、まるで自分が故郷に戻るかのように、心の底から願っていた場所に戻れるという喜びに浸りながら思わず彼らたちの素晴らしい帰還の光景を写真に収めました。
一年半の別離から抱き合う家族、久しぶりに会う子供を抱きしめる母親、強く抱き合う兄弟姉妹、大好きな人に向かって飛び跳ねて喜ぶ子どもたち。その光景は、逞しくいきる私たちの歴史であり、私たちがどんなに離散させられても、どんなに遠くへ行くことを余儀なくされても、“私たちは必ず戻る”という事を世界に証明するものです。私たちは、廃墟の中からでも生き続けます。私たちは、強い決意と精神を持ち続けているので、誰よりも強く決して負けません。
この日、私は、確信しました。-決して屈しないことを。