ガザ女子学生日記

2025年1月30日(木)

2025-02-23 14:25:18
2025-03-01 16:54:16
目次

第一次停戦後、今日、私の最も大切な思い出の場所を訪れることにしました--先生や友人たちに囲まれ、人生で最高の2年間を過ごした場所です。 第二の故郷のように感じ、私の夢が膨らみ、私の目標が花開いた場所である、**アル・サラーム・トレーニング・センター**です。

 この場所で、私は大学に通いながらレベル12の英語を学び、語学力を高めるために一生懸命努力しました。そしてこの大好きな科目をマスターしました。 私は毎日長い時間をそこで過ごし、学び、成長し、私の居心地の良い居場所となっていました。 そこは単なるトレーニング・センターではなく、私を受け入れ、支え、私の未来を切り開くために支援してくれる小さな世界となっていました。 そこでの友人たちは家族のようであり、先生たちは私が出会った中で最も刺激的な人たちでした。 彼らは単なる先生ではなく、助言者であり、寄り添ってくれるガイドであり、自分の生き方の手本でもありました。 学業から人生の決断に至るまで、大小を問わず、私はあらゆることに彼らから助言を求めました。

 学業終了後、私は、好成績を頂けたことで、このセンターで一緒に働ける機会をいただけました。 私は誇りを持ってこの愛すべき場所で働く一員となり、子どもたちに英語を教え、私が持っていたような同じ情熱や夢を子どもたちにも伝えました。 私はこのような環境にいることを光栄に思い、満たされた感謝の気持ちになりました。 この場所は単なるレンガと壁のある建物以上の大切なものであり、私の成功の道へと変容していく自分を知っている証人でもあるのです。 ここで私は成長し、学び、困難に立ち向かい、自分の目標中間地点を達成しました。 楽しい思い出も辛い思い出も詰まった場所で、常に私に戻ってこられる場所として安らぎを与えてくれました。

 今日、私は、長い年月を経て、かつての私を受け入れてくれた場所、笑い声や議論や希望で活気に満ちあふれていた場所を訪れることにしました。 衝撃的な光景を見ながらでも、懐かしさで胸が熱くなり私は、思い出の場所に向かって歩きました。

 その思い出の場所は完全に消えていました。 痕跡ひとつも残っていませんでした。 かつての存在したことを表すものは一切何も残っていませんでした。 私が目にしたのは、散乱した瓦礫、砕けた石、喪失と破壊を語る冷たい感じのする廃墟だけでした。 壁も、かつて私たちが夢を書いたボードも、座って将来の計画を考えた椅子も、聞き覚えのある声も、過去のこだまも何もありません。 虚しさだけがそこにありました。

 私はショックで凍りつき、怒りと悲しみと無力感に苛まれ、その場に立ち尽くしました。 心を見失ってしまったかのように泣きたい気分でした。 どうして? なぜ私の大切な場所がこうして廃墟となってしまうのでしょうか。 なぜ今の私が育てられた場所が、私の人生から消えてしまうのでしょうか。かつては、希望と達成感であふれていた場所は、今や夢も笑いも希望もなかったかのように、こうして無言のただの瓦礫の山となってしまうのでしょうか。

 この時、私の一部もこの場所とともに崩れ落ち、つながっている思い出も目の前で崩れ去っていくように感じました。 しかし、深い悲しみに包まれながらも、その場所は物理的には破壊されたかもしれませんが、私の心の中では、生き続けていることに気づきました。 その思い出は私の心に刻まれ、受けた影響は永遠であり、たとえレンガが1つも残っていなくても、私は、その歴史の生き証人として残るのです。

 

この記事を書いた人

Sabara

Sabara(サバラ)22歳 パレスチナ・ガザ地区出身。アル・アクサ大学で英文学を勉強中。情熱的で野心家。写真撮影と読書が好き。2024年11月から日記を書き続けている。