ガザ女子学生日記

2025年2月1日(土)

2025-03-04 20:51:54
2025-03-07 13:46:06
目次

私の人生にやっと輝かしい日がやってきました。恐怖の中で停戦を待ちわびていた長い暗い時を経て、喜びと故郷を想う気持ちの高まりは、私の心の記憶に深く刻まれると思います。戦争で沢山の物が奪われました。私たちの笑顔が消え、大切な人たちから引き裂かれ、生き残るために私たちの日常は、過酷なものへと変化しました。しかし、どんなことがあっても私たちの身体に流れる、いのちを大切にしようとする精神は、決して奪われることはありませんでした。長い間待ってようやく、私たち家族は再会を果たし、今は、かつての砲撃の音から解放され、身近に存在していた死の亡霊からも解き放され、本当に感激です。そして私たちは、みんなで基本的な権利である、「生きること、愛しあうこと、そして希望を持ち続けること、」を改めて祝いました。

私たちは、この日に、今を生きていることへの証しとして、戦争で消えかけていた心のぬくもりを取り戻そうと考えました。そこで私たちは、自分たちの伝統に深く根差している、パレスチナの「マフトゥール」という料理で家族のきずなを満喫することにしました。家族にとってこれ以上の幸せはありません。

老いも若きもみんなが一つのテーブルを囲み、この伝統的な食事の準備のために私たちは、手を忙しく動かし始めました。女性たちは、パレスチナ産のマフトゥール粒を丁寧に転がし、男性たちは大きな鍋を準備して、子供たちは笑いと興奮に包まれていました。まるで私たちは喜びの絨毯を丁寧に織り上げるように、消えかけていた私たちの心のいのちを復活させるかのように感じる時となりました。私たちは、民謡を歌い、結婚式や集会などでかつて歌われた懐かしいメロディーを口ずさみ、心のいのちの鼓動が再び動きはじめました。

ついに祝宴が開かれた時、私たちの喜びは満たされました。

食卓の上にある物は、単なる食べ物ではなく、私たちの逞しさ、粘り強さ、そして幸福を享受している象徴でもあるのです。もちろん美味しいお料理が一杯並んでいました。薄暗い灯りの下で黄金色に輝くパレスチナのマフトゥールがそこにありました。その横には、一年半以上も味わっていなかったヨーグルトとチキンが並んでいました。18ヶ月もの間、必要最低限のもので生き延びてきたので、こうした幸せな日を待ちわびていました。そして最初の一口を食べた時、まるで自分の人生そのものの味を取り戻したかのように感じ自分にこう言い聞かせました。「私たちはどんなことがあっても、この場所にいてそして私たちはここに住み続ける。」と。

大きな驚きが待っていたのです。

テーブルの片隅にあった、料理が私の目に留まりました。これは私の心の中での特別な料理で、その料理は,ぶどうの葉で巻いた詰め物です。それを見た時私の目は輝き、話す前に、伯母は温かく微笑んでこう話してくれました。「あなたの大好きな料理をつくりましたよ。」その瞬間、これは、単なる料理ではなく、それ以上に伯母の目に見えない深い愛情を感じ、こうした小さいことでも私には大きな安らぎとなるのでした。

私たちは笑合い、語り合い、苦難や暗闇の中でも忘れなかった希望について、また失った自分にとって大切な人について、そして今まで生きてこれたことなどについてみんなで分かち合いました。泣いても笑っても、何があろうとも私たちには、大切に思う人がいて、互いに喜び、こうして生きる力があることに気が付かせてもらえる時でした。

囲まれている廃墟の中でも一瞬の喜びを作り出せる私たちです。

私たちは、決して屈しません。灰の中から起き上がり悲しみから喜びを紡ぎだし、絶望から希望を切り開きます。戦闘が続き多くの物が奪われましたが、機会があればいつでも人生に幸福を取り戻せる力、私たちの生きる力などは、奪われることはありませんでした。

この喜びは束の間ではありません。それは、どんなことがあろうとも、私たちは、自分たちの手で決断する意志があります。

この記事を書いた人

Sabara

Sabara(サバラ)22歳 パレスチナ・ガザ地区出身。アル・アクサ大学で英文学を勉強中。情熱的で野心家。写真撮影と読書が好き。2024年11月から日記を書き続けている。