ガザ女子学生日記

2025年2月2日(日)

2025-03-04 21:09:22
2025-03-07 13:49:53
目次

自由になった日 空に手が触れた日** 

 騒音と恐怖が溢れている世界で私はようやく自由を感じ、新鮮な空気を吸い、貴重な平和の瞬間を味わうことが出来ました。ミサイルが空を切り裂くことも無く、ドローンが死の鳥のように上空を飛び交うことなく、耳障りな騒音が静寂を奪うこともなく過ごすことができるのです。私は、住む為に小さい空間があって、暗闇の中でも一筋の光があり、恐怖や、心配する必要のない、辛いことがない時を、ただただ待ち望んでいました。

その朝はいつもと違っていました。 太陽はいつものように灼熱の暑さではありませんでした。その代わり、暖かく、大地を優しく包み込み、あらゆることがあっても生命は存在していると私たちを安心させてくれるかのようでした。 妹と私はこの辛さから自分たちが解放されたことで、自分たちが耐え抜いてきたことの証を探すことにしました。 そこで私たちは親戚が持っている土地に向かいました。そこには、爆撃やブルドーザーにもめげず、根こそぎ破壊されることを拒んで、大地に深く根を張った木々がそびえ立っていたのです。 そして、破壊の中に、戦争中に植えられた花が、反抗するかのように咲き誇り、こう宣言していました:「私たちは決して屈しない。」と

 私は、風がそよぐ木々の間で逞しく咲いている花々の隣に腰掛けました。 私は自分の手でコーヒーを淹れ、その豊かな香りが温かさと懐かしさを運んできてくれました。私の傍らにはお菓子の皿があり、それはまるで、私に、もう少しここにいて、すぐに立ち去らないでと、ささやかな誘惑を差し出されたかのようでした。妹と私は一緒に座り、色々なことを分かち合ったりしました。こうして、初めて火薬の悪臭に邪魔されることなく、空気そのものを恐れることなく、自然に呼吸ができる時となりました。私たちは、戦闘機も爆発も恐怖もない現在の時間と平行している世界に住んでいるような気がしました。 私たちは心の底から笑えました。こうした笑いは、長い間できませんでした。いままで私たちは、閉じ込められた世界の中にいたようで、まさにこうした解き放たれる瞬間を待っていたかのように笑うことができたのです。 そして私たちは忘れないためにもその日のスナップショットを撮りました。それは、私たちが生きている証であり、微笑んでいる証でもあり、どんなことがあってもこうした喜びを見つけることができる証でもあるのです。

 私が最も心を奪われたのは、瓦礫の中にそびえ立つ黄色い花でした。私はしばらくの間その花を眺めていました。その花は、苦しみや嵐にも負けずに成長していました。

まるでその花は、私や私たちを映し出しているかのように思えました。花の黄色は、長い暗い夜の後に昇る正に太陽のような希望の色でした。そして私にしか聞こえない言葉がありました。 それは。「決して負けないでもう一度復活します。」と その瞬間、私はこれからの自分の人生に明るいものを感じたのです。何か美しい、苦しみの無い、恐れも無い日々を約束してくれた光が差し込んできたと信じたいです。

 私が、物思いにふけっていると、風で何かが揺れたので周りを見渡すと、それは、叔父の手づくりの古いブランコでした。簡単な材料でできているブランコなのですが、単なるブランコではなく、私の子ども時代を呼び起こす扉であり、大切な日々が隠されている扉でもあるのです。その瞬間、私は、直ぐにそのブランコに乗りたいと思い、一心で走り寄り、心配や悲しみなど何もわからなかったあの頃の少女に戻りたいと思いました。

 ブランコのロープを手でつかむと、少しざらざらとした手触りでしたが、決して粗いものではなくて、その縄には、かつて楽しく遊んでいた子どもたちの笑い声や、かつて夢を高く持っていた頃を思い出していました。

 ブランコに乗って、私の体を地面から空高く押し出すように漕ぎました。最初はゆっくりとそれから段々速くしてまるで天に届くように空を飛んでいるかのような感覚になるまで漕ぎ続けました。そして本当に心の底から楽しく笑えました。戦闘とは無縁の純粋な笑いが、いのちの復活を告げるようなメロディーとなってその場を満たしていました。その瞬間、私は全ての恐怖、不安、辛い思い出から解放されように感じました。私は、鳥かごからようやく解放された鳥のように、自由に鎖などに縛られることなく、地平線に向かって舞い上がっていくのでした。

この一年半以上、この様な気持ちになったことはありませんでした。一年半に及ぶ苦しみ、避難生活、そして絶え間ない心配事。心の奥底にある疲労を抱えながら、強いふりをし続けてきたこの一年半。しかしこの瞬間に、あの手づくりのブランコの上で私は、自分の少女時代に戻れました。「これが本当の私です。」繕わなければならない仮面も壁もいらないのです。

 ブランコを降りて、私は妹と一緒に、木々を、花を久しぶりに晴れ渡った空を見上げました。そして心から思えることは、こうした幸せは、当然なことで、生きること、笑う事、恐れることなく息すること等は、私達にとって本当に当たり前に受けられる権利であることを改めて認識しました。

 その日はただの外出とは違いました。正に再生する日でした。未来が明るくなることが約束された日であり、何が起ころうとも、常に私は自分で人生を探し求め、そしてそれを必ず見つけたいと思いました。

この記事を書いた人

Sabara

Sabara(サバラ)22歳 パレスチナ・ガザ地区出身。アル・アクサ大学で英文学を勉強中。情熱的で野心家。写真撮影と読書が好き。2024年11月から日記を書き続けている。