
私の記憶に刻まれる一日がはじまりました。それは、私にとって、怖さに対する考え方の転機となった日で、私に大きな影響を与えた経験でした。その日、家族の友人が我が家を訪れ、リリーと名付けられた小さい、かわいい猫と一緒にやってきました。私は、今まで動物が苦手で、特に猫には恐ろしさを感じていました。触る気など全くないし、見るだけでも怖かったです。しかしこのリリーは全く違いました。リリーはこの家をすでに知っているかのように、ゆったりと私たちの家に入ってきました。数分後に、驚いたことにためらうことなく私に近寄ってきてまるで私を安心させるかのように、「心配しないで、これからは私がついているから」と言っているかのように、私の横に座りました。
その瞬間、いつも猫を怖がっていた私ですが、今回は、全く感じませんでした。その代わりに、何か不思議な温かいのもが私の心に触れるような安心感がありました。しばらくの間、ためらいながらも、勇気を出してリリーに触れようと手を伸ばしました。慣れない私ですが、リリーの柔らかい毛に指が触れた瞬間、心地よい感覚がありました。
その時、長い間私の中にあった猫を怖がっていたバリアが突然消えたかのようでした。私は、リリーに触れただけでなく、抱き上げて腕の中にいれました。リリーの小さい心臓の鼓動が私の胸の近くで動いていることを感じて、言いようのない安らぎを感じました。こんなに小さい生き物が、どうしてこんなに優しい温もりを与えてくれるのでしょうか。どうして猫は、私に独りぼっちでないことを感じさせてくれるのでしょうか。
リリーは、普通の猫ではないようでした。彼女も深い悲しみを秘めていたのです。リリーはこの戦闘中、飼い主の家が爆撃を受け瓦礫の下から姿を現したそうです。飼い主はこの戦闘で殺され、残されたリリーは、飼い主を探し回り待ち続けたと思います。私の家族の友人が何日も探した結果、リリーを奇跡的に発見したそうです。疲れ果てて、おびえていたリリーの瞳は、彼女の悲しみと喪失感を物語っていました。
リリーは、飼い主がもう戻ってこないことをわかっているかのように、深い悲しみを抱えていたのです。他の猫と違って遊ぶことはほとんどなく、代わりに静かに座り失ったものを取り戻してくれる奇跡を待っているかのように遠くを見つめていました。私たちは、リリーのそばから離れないようにしました。奪われてしまった愛情を出来るだけリリーに注ぎ、大切にされている想いを伝えるように世話をしました。
時間の経過と共に、リリーの存在は、私の心の中でとても大きくなりました。私は頻繁にリリーに接し、抱いて、柔らかい毛をなでたりして、リリーのぬくもりを感じるようになりました。悲しいことがあるとリリーのところに行き、抱きながらリリーの眼を見ていると、私の疲れた心に慰めと温かさを感じさせてくれて、癒されている自分に気が付きました。
しかし、今日、リリーが家族と一緒にガザ北部に戻ることになり、私の心の中からも離れることとなりました。リリーがいなくなるので、私はとても悲しくなりました。何をいわなくても私のことを理解してくれて、頼まなくても慰めてくれた友人を失うような気持になりました。リリーはいつまでも私の心の中で生き続けるでしょう。またリリーに会える日を楽しみにしています。そして、また会ったら抱きしめて「とても会いたかったよ。」と話しかけたいと思っています。