ガザ女子学生日記

2025年2月4日(火)

2025-03-04 21:29:27
2025-03-09 15:34:09
目次

インターネットと電気が使えるカフェに向かって歩きました。カフェまでは遠く、本当に疲れて一歩一歩、歩くたびに精神的にも辛くなりました。交通手段はなく、あったとしても数が少ないので、長距離を歩き続けなければならないのです。歩いてきた道は、これまで歩いてきた何百の道の様に思え、その瞬間、私の心は色々な思いに押しつぶされそうになり、肉体的だけではなく精神的にも疲れを感じるのでした。

 その時、歩いていたら私は、何か強く惹かれる、奇妙なものを感じました。ふと気が付くと破壊された壁の前で立ちすくんでいました。その壁は、過去の苦しみと破壊された記憶だけが残る壁でした。その壁には、小さな子どもの絵が描かれており、その目の描き方が、この場所の苦しみと全世界の苦しみを全てその目に宿しているかのようでした。彼の大きな目は、果てしない破壊の中で失われた希望を、まるで答えを探しているかのように耐えがたい痛みを映し出していました。

 その絵の横には、無言の悲鳴のような言葉が書かれていました。繊細な心を持つ人ならだれもが聞こえる悲鳴です。それは「この壁に不正と悲劇が閉じ込められているままなのです」と。

 私の目をよく見て 私がどれだけ苦しんでいるかわかりますか?

私は、しばらく壁の前で立ち留まり、その言葉を何度も見つめてよく理解しようとしたのですが、却って心を乱してしまいました。その痛みが私の心に入り込んだと思います。言い表せないほどその言葉は私の心に入り込みました。まるでその痛みが心に注ぎ込まれたような感じでした。そして私の知らないこの子どもが、ただ壁に描かかれた絵ではなく、子ども時代を失ったすべての子どもたち、大切な人を失ったすべての人たち、希望が見えないこの土地で心か引き裂かれた全ての人たちを、表しているような気がしました。

 その瞬間、私は、ひどい無力感に苛まされました。私に出来ることがあったら。。。ここに生きている人々の痛みと、壁にかかれている痛みを止めることが出来たらと切に願いました。

この廃墟の中で、芸術家たちは、作品を通してこの苦しみ、絶望感、痛みを少しでもなくそうとするのですが、色彩はもはや美しさを残すのではなく破壊されたものの新しい傷口に彩りをして、痛みを一生懸命に記録しているのです。これは、どんな言葉にもかなわない説得力があると思います。破壊された家屋の壁に描かれた絵は、言葉で表すことが出来ないメッセージを伝えようとする無言の声なのです。

 私は、この壁に描かれた子どもについてある人に尋ねました。すると大変厳しい答えが返ってきました。

 その子どもの家族は殺されて、彼一人だけが残されたそうです。ですから、わかっていることは、子どもだということ。そして非情な時代にこの場所で生まれたこと、何の罪もない子どもだということ以外わかりませんでした。

 私はこの子のことをずっと考えていました。この世界の悲しみを全て背負っているような彼の目を想いました。どうか彼が無事にこの痛みから遠く離れた安全な居場所にいることを願うのですが、現実はとても厳しいと思います。この子どもを含め他の子どもたちや、ここのいる人たちは希望のない、そして希望が見えない廃墟の中で生きているのです。

 一日の始まりにこの壁の絵を見た時、離れることが中々できませんでした。私の心は、その壁に釘付けされたようで、その目、その言葉に引き付けられました。私の知らないこの子どものこと、そして同じ苦しみを生きている何千人もの子どもたちのことを一日中考え続けました。

 この苦しみはいつおわるのでしょうか?壁に描かれた悲しい顔を見なくなるのはいつですか?瓦礫がなくなり、その代わりに希望が生まれるのは、いつになるのですか?

 私は、疲れました。

本当に疲れました。

 

この記事を書いた人

Sabara

Sabara(サバラ)22歳 パレスチナ・ガザ地区出身。アル・アクサ大学で英文学を勉強中。情熱的で野心家。写真撮影と読書が好き。2024年11月から日記を書き続けている。