
夕方、私は胸に重く圧し掛かるような違和感に襲われました。ガザにはきれいな空気がないことをわかっていても、どうしてもきれいな空気を吸いたくなったので窓を開けて夕日を眺めました。この魅力的な光景を見ることは、毎日の騒音や苦しみから逃れるための私の日課となっていました。 空の色は、息をのむような神々しい絵画のようで、深い青が輝く夕陽と重なり、目をみはるばかりの美しさで私の心を魅了し、まるで夕暮れの糸を織りなしているようでした。現在の困難な状況下の中でも、その光景はまばゆく、穏やかなオーラを放っていました。
夕日が沈み始めてから地平線の彼方に消えるまで、私は物思いにふけり、戦闘という厳しい現実から遠く離れることができました。 私は自分の将来について、こうした環境から離れて成し遂げたい夢について考え始めました。 新しい人生を、この土地も私の心も生き途絶える前にこの包囲されている環境から遠く離れた場所で、明るい未来に向けて与えられる機会を探したいと思いました。 実際に私は、旅をずっとしたいと願っていたので、この地を離れて自分自身を立て直すためにも、そしてより安全な安定した生活を送ることができるためにも、次の場所へと向かうための旅を想像するのでした。
私の一日にとってとても欠かせないこの瞬間を、何にも邪魔されたくありませんでした。 日の入りは毎晩、現実から離れることが出来て、私の聖なる居場所となりました。苦悩に満ちたこの世界の中で安らぎを見出す場所なのです。心を落ち着かせる瞑想について多くの本を読んだこともあるので、私の心に深く刻まれた戦闘の傷跡を癒すためにも瞑想することにしました。 1日2時間、私はこの光景の美しさに浸り、深呼吸して、戦闘が奪った平和を少しでも取り戻そうとしたのです。 その瞬間、もちろん、束の間の幻想だとしても、私は自由を感じ、鎖に縛られず、自由の本質を味わうかのように呼吸ができました。
しかし、いくら現実から逃れようとしても、直ぐに苦悩が忍び寄ってくるのです。特に目につくのが私の家の向かい側に置かれたテントです。テントには戦闘によって家を捨て、避難を余儀なくされた私たちにとって人生の中で大切な友人、親戚、愛する人たちがいます。布切れのテントの下で暮らすには、冬の寒さを遮ることも雨を防ぐこともできないのです。 雨が降るたびに、テントに水があふれるのを見ました。まるで、現実に溺れるように、困難も増しこうして移り住むことでの喪失感を体現しているのです。
私にとって、夕日はもはや単なる自然の営みではなく、美しさと悲しみが複雑に混ざりあい、温かさと苦悩に満ちた色あいで描かれた絵画のような物と考えます。それは私に安らぎを与えてくれると同時に、私たちが失ってしまったもの、また心に抱えた苦しみなどに対して、何事にも負けないで前を向いて生きようとする力を、今一度思い起させてくれるのです。