
朝、私は気持ちが本当に重くなると逃げ込む行きつけのカフェがあります。いつも座る席は、まるで自分だけのために用意され、世界の小さな片隅にいるような気がします。現実の喧騒から離れて私にとって少しでも深呼吸が出来る場所となっていました。コーヒーを飲みながら、今回は、今までそんなに気にも留めなかったカフェの店内の壁に目を奪われました。まるで精霊が宿っているかのように、私にもっと壁に近づいて見るように誘われた気がしたのです。
壁の中央には、今まで見たことの無いほどの美しい手刺繍の布が掛けられていました。その糸はまるで物語を語るかのように絡み合い、すべてを堪え忍んできたにも関わらず、色彩は鮮やかでした。私は、この布をみて何か特別なものを感じたのです。それはまるでただの布を超えて、苦悩に直面した時の辛抱強さと創造性の豊かさを生きた証のようでした。あとでわかったことですが、丁寧に刺繍されたこの作品は、アミーナという60歳の年配の女性の物だそうです。
戦闘中、砲撃の音で家が揺れる中、アミーナはいつもの様に針と糸を持って座り、忍耐を持ってタペストリー(注1)を織り、この残酷な現実から逃れようとしていました。また、タペストリーの色と模様は彼女の人生に対する愛情を深く表現していると思いました。戦闘下の周囲の破壊の中でも、彼女の刺繍は情熱的で、彼女が大切にしているものを創作し続けて生き抜く姿勢は、絶望に抗う唯一の彼女の方法なのだと思いました。
何カ月もの間、彼女は創作を続け一針一針の一瞬が物語を作り、一本一本の糸がその物語を繋ぎ、まるで言葉にすることが出来ない夢を布に織り込んでいるようでした。しかし、完成させる時が与えられなかったことは、運命なのでしょうか。ある夜、爆発が暗い空を照らす中、彼女の家は爆撃を受け、か弱い彼女の体の上に建物が崩れ落ちたのです。彼女は崩落した瓦礫の犠牲となり、織物を通しての物語は、ここで未完成となってしまったのです。
しかしその刺繍は別の運命を辿ったのでした。それは、まるで消え去るのを阻むように、また忘れ去られるのを抗うかのように、廃墟の中でも残っていたのです。数日後、彼女の孫が瓦礫の中を探し回った時、その刺繍の作品を見つけたのです。震える手でその作品を取り上げ、それが祖母の形見となったのです。そこで祖母の物語を語り継ごうと彼は決心し、戦闘が激化している中でも、布に希望をこめて織り込んだ女性をもっと知ってもらうためにもこのカフェにその布を託し、この様な特別なコーナーを設けてもらったそうです。
その壁の前に立つと、私は誇りと悲しみの入り混じった複雑な感情に圧倒されました。じっと耐える姿勢への誇りと傑作を完成させる前に彼女を沈黙させてしまった不正義に対する悲しみです。私は、長い間そこに立ち尽くし、アミーナのささやきがこだまとなって聞こえるようでした。それは、芸術は抵抗する形になりうること、針と糸は生き残るための強さとしての象徴になることを、彼女は思い出させてくれたと思っています。
この刺繍の作品は、もはや単なる手作りの工芸品ではなく、パレスチナ人みなの苦しみの証人となって、廃墟の中からでも希望が生まれるというメッセージが世界へと発信されたと思います。たとえ語り部がいなくなってもこの美しい物語はすたれることはないのです。
(注1)壁掛けなどに使われる室内装飾用の織物