ガザ女子学生日記

2025年2月10日(月)

2025-03-24 17:58:43
2025-03-27 09:50:04
目次

夜、私はヌセイラット市の親戚を訪ねていました。困難に満ちた生活の中でも、一緒にいつもの様に座って会話を交わし豊かな時を過ごそうとしていました。その時突然に、窓から差し込む今までに見たことない光が目に飛び込んできました。私は驚いて皆に言いました。

「通りから光が見えた。」

彼らは私に「電気が街に戻った。」と微笑みながらいいました。

私は一瞬、彼らの言葉の意味を理解できずに佇んでしまったのですが、電気・電灯は本当に復活したのでしょうか。まるで遠い過去の中に経験してきたことを、長い間忘れてしまって、その形や存在にまた出会ったような不思議な感覚に襲われました。イスラエル軍がガザの電気を止め、闇の中で私たちは、置き去りにされ生活必需品さえもなく生きながらえ、私が最後に電灯の明かりを見て一年半が経っていました。

今聞いたことを確かめようと抑えきれない衝動に駆られるように、私は急に立ち上って、信じられない気持ちで心臓をドキドキさせながら、外に飛びだしました。頭を上げ頭上を照らす街灯を、光に輝く窓や歩道に移る金色の反射を見つめました。これは、ただの電気ではありません。まるで、街が長い間窒息していた後、やっと息を吹き返したかのように感じました。

私は、しばらくじっと周囲を照らされているすべての物に魅了されていました。通りの細部に至るまでよく見ようとしました。電灯の影の落ち方とか、慣れてしまった暗闇をすっかり忘れさせるぐらいの輝きで、まるで初めて歩くことを覚えた子どものように純粋に好奇心旺盛な目で新たな世界を発見した思いでした。これが現実なのか、それとも束の間の夢なのか分からないでいましたが。

まるでこの光が単なる電気ではなく、復活であり、失ったものを思い出させてくれた命の呼びかけであるかのように感じたのです。

一歩一歩こうして歩む度に、私たちの心の一部が戻ってくるのを感じました。生まれて初めて電灯を見たような気がしました。

電灯をこうして奇跡のように感じられるほど、私たちの存在は弱くなってしまったのでしょうか。水は遠い夢のようになったのでしょうか。新鮮な空気は与えられる特権なのでしょうか。人々の基本的な権利は奪われ、その復活を特別の日の様に祝うなんてこの世界は、どうなってしまったのでしょうか。

その夜、私たちは如何に逞しく生き延びてきたか、電灯が回復したことが、こうして異常に思えてしまうほど、この困窮生活に私たちは、慣れてしまったことを実感するのでした。しかし、私たちの心の中には、誰も閉ざすことのできない窓があることにも気づきました。希望、忍耐、粘り強さの窓があり、どんなに暗いときでもその部屋は私たちの心の中では輝いていることがわかったのです。

長期の暗闇から電気が戻ってきたことは、一筋の光に過ぎないことですが、わたしにとっては、たとえ何千もの夜の暗闇に耐えることを余儀なくされとしても、私たちは、今も尚ここに居続け、ここで生き続けることを宣言したようでした。

この記事を書いた人

Sabara

Sabara(サバラ)22歳 パレスチナ・ガザ地区出身。アル・アクサ大学で英文学を勉強中。情熱的で野心家。写真撮影と読書が好き。2024年11月から日記を書き続けている。