ガザ女子学生日記

2024年12月10日(火)

2025-04-14 21:14:49
2025-04-16 14:47:08
目次

朝、部屋の窓際に立って外の空気を吸っていたら、とても印象的な不思議な光景が、目に留まりました。それは、周囲の惨状の中で近所の子どもたちが遊んでいるのが見えました。 一目見て、私はその光景の優しさと、その雰囲気に満ちた無邪気な笑い声を聞いて本当にうれしかったです。 しかし、よく見ると、彼らは私たちの向かいにある破壊された家の廃墟で、自分たちで作ったゲームをしていたのです。

「たとえイスラエル軍に家を破壊されても、私は破壊された家からゲームを作るわ」。その言葉に私は衝撃を受け、言葉がでませんでした。 この子の無邪気さと、年齢とは不釣り合いな深い苦しみを経験していたのではと思いました。 私は独り言で、「どんな破壊に直面しても、生き続けて、願わくは、灰や瓦礫の中からでも力を生み出してほしい」とつぶやきました。

私は子どもたちが遊んでいるのをしばらく見ていました。一緒に小さい声で笑い、彼らの小さな顔に喜びと楽しさが浮かんでいるのを見ました。 瓦礫の間を、まるで花が咲き乱れる庭を、周囲の破壊に気づいていないかのように走り回っていました。その瞬間、私にも喜びと楽しみを与えてくれた思いです。なぜなら、何事にも関係なく、彼らは、笑い、遊び、この辛い現実の中でも自分たちの小さな世界を作ることができるからです。

しかし、やがて深い悲しみが私の心に入ってきました。 清潔で安全な環境で遊ぶという当然の権利、瓦礫だらけの道路ではなく、庭や緑地を持つという当然の権利を持つ子どもたちのことを考えました。 彼らの美しい子どもの時代が、廃墟と化した家屋と夢の廃墟の間で繰り広げられるゲームの話で終わってしまうことは、納得できません。

このシーンは、子どもの頃の無邪気さと現実の厳しさの間に、矛盾をはらんでおり、私の記憶にしっかり留めています。このような苦難から遠く離れたところにある、より美しい未来を夢見て熱望することは、この子どもたちに対する私たちの義務としてあると思います。

この記事を書いた人

Sabara

Sabara(サバラ)22歳 パレスチナ・ガザ地区出身。アル・アクサ大学で英文学を勉強中。情熱的で野心家。写真撮影と読書が好き。2024年11月から日記を書き続けている。