
日記を書き綴ろうと思い、カフェに向かう途中、悲しみと苦悩がさらに倍増されるような、胸が締め付けられる光景に遭遇しました。
灼熱の太陽の下、電気とインターネットにアクセスするために何時間も歩き続け、疲労と困難に耐えながら、忘れがたい光景を目の当たりにしたのです。二人の幼い子どもたちが野菜の入った小さな箱を担いで通りを歩き回り生計を立てるために必死に通りから通りへと歩いているのを見たのです。
やっと10歳になった上の子は、子どもの力をはるかに超える重荷を背負って、そして震えた声で、「僕の家は爆撃され両親も殺されたよ。今は、兄弟と私達だけになったから兄弟を養うために、毎日クレソンを売りに出なくてはならないんだ。」と私を見て話したのです。
その言葉を聞いて私は何も返す言葉が見つかりませんでした。唯々涙が止めどなく流れ落ちました。どうしてこんな無邪気な子どもに、この様な大きな責任を負わせることができるのでしょうか。家族全員を支えることは、大人でさえも苦労することで、この様な幼い子どもが、この様な大きな責任を負うことができるでしょうか。
その瞬間、この厳しい過酷な世界から引き離すかのように私は、この二人の子ども達を強く抱きしめたくなりました。私に出来ることは、慰めの言葉をかけること、そしてこのような辛い光景を前にすると、私の強さとは裏腹に沈黙の涙を流し、苦しみを共有することだけでした。
なんて残酷な世界なのでしょうか。なんの落ち度もないガザの子どもたちにこんなに大きな代償を払わせるのでしょうか。
この二人のこどものようにこうした抑圧と不正義によってもっとも基本的な権利が奪われている子どもたちがどれだけいるのでしょうか。どれだけの純粋な夢が花開く前に消えてしまったことでしょうか。
私はその光景を何度も繰り返して思い浮かべました。子どもたちの目には、苦しみに脈打つ生き抜くための強さと決意が無言のメッセージとして宿っていることを感じました。この子どもたちは単なる犠牲者ではなく、この無慈悲な世界で生き抜いている英雄たちなのです。