
私の人生における「最悪な木曜日」
この日は私にとって人生の最悪の日として記憶に残りました。私は厳しい環境のガザで教育を受けることをしっかりと受け止めていた大学生でした。しかし、この日は全く異なりました。私の心が折れそうになるほどの苦悩に見舞われたのですが、どんな困難に見舞われても耐え抜くことを選びました。
木曜日は早朝から、私は全くやる気が起きませんでした。大学のプロジェクトがとても重荷となっていました。問題はプロジェクトの内容ではなく、勉強しなければならない環境が悲惨だからです。家では電気もインターネットもなく、勉強やプロジェクトを遂行するには、こうした環境では、ほとんど不可能でした。
従って、こうした基本的なサービスを受けられる場所を探さなければならないのです。書類を一杯詰めたバックと、いつも充電がギリギリでかろうじて動いているノートパソコンを抱えて自分の仕事をやり遂げようと心に誓い、そのための場所を探しました。
交通手段も難題のひとつでした。燃料不足と交通機関の麻痺のために何時間も歩き続け、電気やインターネットに接続できる場所を求めて移動せざるを得ないのです。その道のりは遠く、疲れるのですが私は、夢を実現させたいという強い思いで行動しました。
ようやく目的地にたどり着くと体力は消耗し切っていましたが、困難はそこで終わりませんでした。プロジェクトを完成させるための必要な教育的な資料が手に入らなかったのです。かつての豊かな知識の源泉でもある大学の図書館は、イスラエル軍によって破壊されてしまいました。多くの大学が爆撃を受け、かつてのガザの学生たちの教育を支えた参考文献は灰と化していました。
絶望の淵に立たされた私は、破壊された図書館の前に立ちすくみ、あふれる涙で瓦礫を見つめました。かつては、この図書館が私にとって生き生きと希望に満ち溢れていた場所であったことを思い出しました。しかし、それは今はただの思い出の中にしかないのです。この壊滅的な中で、どうやって私たちは夢を実現することができるのか、私は静かに自分に問いかけました。
この様な困難にも関わらず、私は諦めませんでした。インターネット接続が弱く頻繁に中断されるにも関わらず別の解決策を模索し電子リソースを共有するためにクラスメートと情報交換しました。私は教育がこの厳しい世界に立ち向かうための唯一の武器になることを強く信じ、それを力にしながらたゆまぬ努力をすることを決心するのでした
その日は、プロジェクトの完成には至っていなかったのですが、過酷な状況の中でも多くのことを成し遂げた思いがありました。自分が直面していることは日々の困難に留まるのではなく、希望と強い決意をもってそれに立ち向かい、これからも闘い続けることを改めて悟りました。
この日は最悪の一日ではありましたが、重要な教訓を与えてくれました。これからどんなに多くの障害が待ち受けていようとも、忍耐と我慢こそが成功のカギであると思ったのです。自分の夢を実現するためだけではなく、教育を受ける権利のために闘っている全ての学生の代弁者となるために、私は進み続けます。
私だけの話ではないのです。この話は、最も基本的な人間としての権利さえも否定される環境の中で生き、夢を描き、それを達成しようともがいているガザの全ての学生たちに共通の話なのです。封鎖と破壊にも関わらず、ガザは私の様な人々がいます。彼らは、廃墟の中から希望を生み出し、明日の未来が自分の人生と成長のために新たな機会をもたらすと信じている名もなき英雄たちなのです。