
朝、私は早く起きて栄養失調に苦しむ子どもたちの調査をする活動の準備をしました。着替えを済ませ必要なものを全て揃え、仲間のところに向かいました。ガザが悲惨な状況にある中、困っている子どもたちを助けるという人道的な使命を果たしたいという強い思いで私たちはキャンプに向かっていました。
しかし、私たちはイスラエルの空爆で亡くなった方の葬列に止められてしまいました。
しばらくそこに立ち留まって、厳粛で悲痛な光景を静かに見つめていました。亡くなった人たちは布に包まれ、病院の担架に載せられ急いで埋葬のために運ばれて行きました。他の多くの亡くなった人たちが埋葬のために順番を待っていたので、きちんとした葬儀を行う時間はありませんでした。
その瞬間、様々な思いが私によぎり静かに自分に問いかけてみました。これも私の運命なのか。私たちはこのような容赦ない戦争を生き残ることができるのか。大きな恐怖が私の心に去来しました。私たち若者世代にとってそれは圧倒的に大きな悲しみが伴うのです。つまり若者世代の私たちに、私たちの夢に、私たちの活気あふれるエネルギーに対して深い悲しみが伴うということです。こうして熱意と活気あふれる若者たちを失っていくことになるのです。
まるで未来そのものが攻撃されているかのように、明るく希望に満ちた人生が断ち切られることは、大変に辛いことです。これからを建設し創造するはずの世代である私たちは、恐怖と破壊の連鎖の中に閉じ込められ、人間らしさを保とうと必死になっているのです。
しかし、悲しみと恐怖にも関わらず、私たちは、降参することはないと思います。悲しみの中にあっても、やるべきことを行い、想像を絶する苦難に耐えている人々に寄り添わなければならないのです。手を差し伸べ、慰めあい、絶望の中でも希望の炎を絶やさないことが私たちの役割であると思っています。
確かにその道のりは困難なのですが、私たちは、少しでも変化を生み出そうと努力しています。私たちは戦闘ですり減った心に希望の種を撒き、ガザがどんな苦悩にも関わらず、こうして生き続け抵抗し明るい明日を、夢見ることが出来ることを世界に証明することを目指しているのです。