
ガザに大雨が降りました。まるで空が嘆き悲しみ、疲弊した人々の痛みを映し出しているかのようでした。 雨は容赦なく降り注ぎ、住民への圧倒的な苦労にさらに拍車をかけ、まるで人生が住民の持久力をさらに試そうとしているかのようでした。 窓から見えた、向かい側のテントが完全に水没していた光景は忘れられません。 人々は目を覚ますと、生活していた場所の隅々までに雨水が侵入してきていたのです。
戦闘の悲惨さと比較しても私が見た中で最も悲惨な光景の一つは、凍てつくような水につかってしまっていた子どもたちとその家族の姿です。破壊されたインフラは洪水の水をうまく排出することが完全に不能となり、通り、難民キャンプ、そして安全な避難場所であるはずの家までも大洪水に飲み込まれてしまったのです。その瞬間、私は、世界全体がたち止まってパレスチナの私たちの苦しみを真剣に受け止め日々直面している容赦ない試練を少しでも感じて欲しいと心から願いました。
あの日以来、私は寒さと家にしみ込んだ雨で体調をすっかり崩してしまいました。しかしそれ以上に心を痛めたのは、向かい側のキャンプにいた隣人たちに起きたことでした。彼らのテントは完全に浸水してしまい、わずかな持ち物(家具、衣服、毛布)まで、びしょ濡れで使用できなくなってしまったのです。子どもたちは厳しい寒さの中で震えていました。氷のような水と冷たい風から身を守るための温かい服も、乾燥している場所もありませんでした。
この子どもたちに何の罪があるのでしょうか。何故、彼らが病気になり暖を取る手段もなく寒さに震えなければならないのでしょうか。水の中で座り込み、小さな体をびしょ濡れにして混乱と恐怖に満ちた目をしている子どもたちの姿を見れば、どんな人の心も痛めると思います。
しかし、洪水だけの問題では終わりませんでした。集中豪雨と壊れたインフラが相まって、汚水が道路や家屋に溢れ出してきたのです。汚水がテントや家屋に浸入し、悪臭をもたらし、人々、特に子どもたちの間に病気をまん延させたのです。解決策は見つからず、人々は只々、黙ってこの苦しみと悲しみにじっと耐えるしかないのでした。
通りは大変に汚染され、下水があらゆるものに交じり悪臭で重苦しい空気になっていました。この様な状態の中では最も弱い立場にある子どもたちが最も苦しむことになるのです。彼らは暖を取ることも出来ず、保護されずにこの悪夢から逃れることも出来ないのです。
この様な状態下の中で、私は、圧倒的な無力感に苛なまれます。それは、自分が助けたいことが出来ないということではなく、この苦悩が一過性のものではないということに気づくからです。これは、ガザに住む人たちの日常なのです。寒さと雨をしのぐ場所も無く、終わりのない破壊の連鎖を止める解決策も見つからないからです。
それでもなお、人々は生き延びるために闘い続け、わずかな希望にしがみ付いて生き続けるのです。しかし、私は心の奥底で、 “私たちは、いつまでこうして耐えられるのか” と問いかけずにはいられません。