
今朝はいつもと違う朝を迎えました。ガザではほとんど感じることがなかった心地のよい風を感じたのです。それは、待ちに待った従妹の結婚式でした。従妹は、私の大切な友人であり、心の中では姉妹のようです。その従妹にとって人生の新たな章が始まる待望の日でした。歌と踊りと喜びに包まれ温かい祝福の嵐に包まれる日であるべきはずなのに、残念ながら現実は、私たちの心にそしてその環境はいつもと変わらぬ重い雰囲気と悲しみに包まれていたのでした。
準備をしている彼女を見ていると胸がとても痛みました。彼女は優しく微笑んでいるのですが、目は、自分の夢が消し去られようとしているこの現実に、悲しみを訴えているようにも見えました。
儀式も音楽も喜びもない結婚式を挙げることになった彼女に私は深い悲しみを感じたのです。私の故郷、パレスチナは、大きな悲しみに包まれているのですが、世界はあまりにも私たちの存在に気づいてくれない状況を感じるからです。
それでも、私たちは出来る限りの形でお祝いの雰囲気を創ろうとしました。彼女がかつて夢見た白いウエディングドレスを着るのを手伝いました。この廃墟の中でもこうして美しい瞬間を残すためにも写真を撮ろうと思いました。彼女のために側にいて、心を込めて、支度の手伝いをしました。ドレス、ベールを整え、また髪もきれいにセットしました。しかし私たちの誰もが、心の底から喜びのうちにお祝いする気持ちにはなれなかったのです。現在のガザでは、破壊され傷ついている状況の中で喜びを求めようとしてもいつもその喜びは、消し去られてしまうからです。
結婚式場は瓦礫と化し、かつて祝宴が行われていた部屋も廃墟と化していました。通りも色彩を失っていました。占領により、私たちの全てを奪い取られたのです。お祝いをしようとする私たちの力さえも奪い取ったのです。悲しみは私たちの日常の生活に絶え間なく忍び込んできます。幸せなはずの日でさえも、悲しみはやって来るのです。
私は、一緒に小さな美容院に行きました。その美容院は、残っていた建物の中で数少ない一つでした。私は、どんな時も彼女のそばにいて、彼女のために心を落ち着かせてあげたいと思い、また一緒にいることでその喜びを共にしたかったからでもあります。現在、ここガザでは、結婚式は華やいだ雰囲気や楽しい雰囲気は全くなくとても静かです。女性は、きれいなドレスを身につけて、安全が確保されていれば写真を数枚とります。そしてほとんどの家が破壊されてしまったので、夫となる人のテントまで歩いて行くのです。
私は胸が痛くなりながら、彼女の実家を出る最後の一歩を一緒に歩きました。花嫁らしい門出を祝うことがこの環境ではできませんでした。踊りも、近所の人たちがお祝いの歌を歌うこともなく、歓声の声が空に響くこともない状況でした。ただ彼女の心の鼓動だけがしっかりと聞こえ、微笑むことをすっかり忘れているこの場所でも、少しでも幸せの瞬間を見つけようとしていました。
彼女は花嫁としてこの場を離れ、1人残された私は、とても悲しくなりました。そして心の中に質問が浮かびました。「こうした私たちの喜びが奪われることが、あっていいものだろうか。」と。