
私は、胸に耐えがたい重みを感じて目が覚めました。気持ちも相当落ち込み、その重苦しさに息が詰まりそうになりました。呼吸が苦しくなったのは、まるで周囲の空気が悲しみと絶望で濃度が濃くなってきたのではと感じるくらいでした。
これ以上一人でいるのは、耐えられなかったので、一番親しくしている友人に電話を掛け、「とても気落ちして元気が出ないの。だから一緒に好きなカフェにでも行けば、元気になれると思うから、一緒にカフェに行かない?」と誘ってみました。
彼女は、 「もちろん、いいわよ、行こう!」と即答してくれました。それにより私は、少し明るくなりました。
破壊と静寂に包まれたガザの壊れた通りを歩きながら、私の大切な生活の一部であるお気に入りのカフェに自然と足が向いていました。周囲一帯が廃墟化している中、なぜかそのカフェだけが、静寂の中で力強くその場に残っていました。
私たちは、そのカフェで待ち合わせました。温かい明るい光がさしているカフェの小さな一角で会いました。外の世界とは違って、中の雰囲気は、活気、明るい色彩と笑い声に満ちあふれていて、まるで一瞬、戦闘などとは全く無縁の世界に足を踏み入れたかのようでした。
二人で座って辛い思いを分かち合い、会話を続けました。声を出して話すことにより辛い思いが軽くなるのではないかと思ったからです。すっかり心を開いて、心の中に隠している思いを話す時に必要なことは、私の話をジャッジすることなく、ただ傾聴をしてくれる友人がいることがとても大切なのです。
この写真で最も印象に残っているものは、笑顔でもコーヒーでもありません。パレスチナのクフィーヤーです。それは抵抗と強さの無言の象徴として誇らしげに存在しています。行く先々で私たちが何者であるかを思い出させてくれるパレスチナらしさの象徴なのです。私たちの伝統、精神力の強さ、揺るぎない意志、これらは私たちの行動の全てに存在しているのです。
その日は、久しぶりに私は本当に生きていると実感しました。私は深呼吸して自然に笑顔になれました。そしてなじみのある友人と、温かい飲み物を共にこうして出会えることはとても癒されることだと思います。
ここガザでは、喜びを感じるには多くのものは必要ありません。ただ安全な時を確保できて、真の友人がいればよいのです。そしてどんなに破壊の中にあっても、大切な生命はまだ私たちの中で鼓動していることを静かに思い出させてくれます。