
雨の降る朝、私は屋根を伝う雨音で目を覚ましました。久しぶりに耳にした軟らかい馴染み深いこのリズムは、私を幸せな気分にしてくれました。静かな幸福感に包まれながらこの好きな雨をこの目で確かめたくて、ベットから起き上がりました。
残念ながら喜びというものは、私たちの生活の中ではめったにありません。自分の気持ちでさえも喜びにあふれることなどないのです。窓際に立ちながら、突然、厳しい現実に打ちのめされました。もはや私たちにとっての雨は、安らぎを与えてくれるものではありません。雨はテントを水浸しにして、壊れそうな家に雨漏れを起こさせます。また何か月にもわたる空爆と爆破で破損した屋根から雨漏りがあるのです。
今日は、少しのどに違和感があります。雨はかつて、希望を感じさせてくれたのですが、今は、かえって無力を感じるのです。かつて、わくわくした雨が、今は心配で心が重くなります。
悲しみで胸が一杯になった時、私の目に優しい光景が飛び込んできたのです。それは破壊の中で魔法が起きたかのような瞬間でした。ディナとラナという名前の二人の少女が雨の中で楽しそうに遊んでいました。笑ったり、回ったりして、歌いながら遊んでいました。雨粒が二人の頬にあたり、二人は灰色の空の下で、まるで何事も心配していない様子でくるくると楽しそうに回っていました。自分たちの取り巻く惨状をこの少女たちは理解していなかったと思います。自分たちの家が瓦礫と化した事もわかっていないのです。彼らの目に映っている物は、雨粒だけでそれだけで十分に幸せになるのでした。
この二人の少女は破壊された家の跡地に住んでいるのですが、彼女たちの明るさを止めるものは何もありません。その笑声は、重苦しい雲を突き抜ける太陽の光のように空を舞っているようでした。
そしてその瞬間、思わず笑みがこぼれたのですが、実は、悲しみを胸に秘めながら微笑んでいました。というのも、子どもの笑声の中に、雨粒の中にも、こうした混乱の状況の中でも、勇気の中にも、希望は生き続けているのです。